俺は〇〇童貞だ。
俺は〇〇童貞であることを主張して生きていこうと思う。
ここでいう〇〇童貞とは「ある事柄を体験したことがない人」という感じの意味で捉えてもらえばいい。まあ、素人童貞をもじった言葉であるのは確かだ。
例えば、スカイダイビングしたことが無ければスカイダイビング童貞である。
「童貞」が付いているからといって卑下する必要はない。みんな何かしら経験したことはないし、あえてそれに挑戦するのは素晴らしいことだ。
ただ、初めて挑戦することは気が向かないことが往々にしてある。
「失敗したら嫌だな…」とか思っちゃうのである。
だが、よく考えてみてほしい。初めて試してみることなんだから器用にできるはずがない。大概失敗するのではないだろうか。
自転車を一発で乗りこなせる人などいないだろう。
俺も、自転車の練習中に田んぼに頭から突っ込んで泣きながら帰った記憶がある。
今思えば、泥まみれの自転車を引いている泥まみれの俺を見て、人々は爆笑していたかもしれない。
ここで俺が言いたいのは、皆が「まあ、初めてだししょうがないよね!!」という自分の失敗を許せるメンタルを持つべきだと思う。
別に言い訳がましいわけではなく、これは真理だと思う。本当に初めてだからうまくやる術を知らないのである。
失敗したからといって恥じる必要もない。だからどんどん色々なことに挑戦しようと言いたいのである。
それと同時に、他人の失敗を馬鹿にするのも良くない。
他人が失敗したのも、「その事柄をうまくやる術を知らなかった」ことが理由だともいえる。他人の失敗に寛容になるべきだ。
また、これまで人を馬鹿にしたり下に見たりした経験はないだろうか。
自分にも経験があるが、「そんな常識も知らないのかよ」と見下してしまうことがあった。
しかし、見方を変えてみたらどうだろう。その人が知っていることを自分は知らないのである。
「お前自転車乗れないのかよ!ダッサwwwww」と自分が見下していた人が実は船乗りで、「船の乗り方も知らねえのかよ!ダッサwwwww」と自分を馬鹿にしてくるようなものだろう。1つの軸(=ここでは自転車に乗れるかどうか)で安易に人を判断してはいけない。自分が知らない経験を誰もがしている。その各軸においては互いが先生であるし、教えを乞うこともできる。リスペクトすべきだ。
話が前後するが、初めてのことではないのに、何度も同じミスしている人はダメか?というとそうでもないと思う。
これはその対処方法を知らないだけなのだと解釈できる。故に同じミスをしているように見えるのである。つまりは「対処方法童貞」である。
だから同じミスをしている人も馬鹿にしてはいけないし、何度も同じミスをするからといって自分を責める必要もない。
注意散漫な人が苦しんだ末に対処方法を生み出す例などネット記事なんかで見ることがあるが、そういったプロセスである。
解決方法を得た暁にミスの連鎖から抜け出せるのである。
もしあなたが解決方法を知っているなら、苦しんでいる人に教えてあげて欲しい。
あるいは、一緒に模索していくのもいい。その経験は、あなたにとって「誰かと一緒に解決方法を見つけていく」という初めての素晴らしい経験になるかもしれない。
さらに、「初めて挑戦してみた結果、課題が見つかる」というプロセスについて考える。
発見した課題を解決できたとき、人は成長できるし、さらに新たな課題を見出すことができるようになる。というか、「課題だったもの」が「意識するに足らないレベルの日常の出来事」になり下がるのだ。
今、近くのコンビニに行くために自転車に乗る瞬間、「うまく乗れるかな…」「補助輪なしで大丈夫かな…」と思う人はいないだろう。
子供の頃は、「自転車に乗りたい!でも乗れない!」という問題につんのめって「課題」と認識するのである。今は、無意識下で難なくこなしているために課題と認識しないのだと思う。課題を解決すると余裕が生まれ、「もっと速いスピードを出したい!→ロードバイクに挑戦」「もっとカッコイイ動きしたい!→BMXのトリックに挑戦」というような新しい挑戦心(課題)が生まれるのだ。
もちろん、遭遇した課題から逃げることもできる。
しかし立ち向かわなければ解決しないままである。人生において、解決できない課題があると後々同じ課題が(姿を変えて)再び立ちはだかると思っている。
例えば、女性と楽しく会話するの苦手だわ…とか言って逃げていると、女性を楽しませることもできないし、勿論デートすることもできない。しかし彼女は欲しいのである。となると課題を解決しなければ無限ループである。
男友達と話すという日々の出来事は慣れっこであるために課題として認識しないが、女性というイレギュラー要素が追加されるとつんのめるため「女性との会話が苦手」と課題として認識する。女性との会話が慣れっこになればその課題はなんでもないただの無意識下で処理できる事柄にすることができる。デートして女性を楽しませている人は、その課題を解決しているといえる。
別に恋愛だけではない。部屋を綺麗に維持できない、というのも課題といえる。部屋を綺麗にしておかなかったら、いつかはゴキブリが出現するのである。部屋が汚くなっていくというだけでなく、ある閾値を超えると、ゴキブリという最悪の事象を呼び込んでしまうのだ。仕事を放置していたら仕事が溜まっていくだけでなく上司に怒られるように、課題をずっと放置していると嫌なオマケも追加されてしまうのだ。まあ、俺もそうだが、「分かっているのにやらない」のである。きっと綺麗な部屋を維持する方法とか仕事をこまめに終わらせるベターな方法を知らないのだろう。
ではどうするか?
いますぐ、挑戦→失敗→改善→挑戦→失敗→改善…の繰り返しのサイクルを始めることだろう。その過程で「対処方法」というものを身につけていくしかない。言っていることはPDCAサイクルそのものなのだが、このサイクルを回し始める最初の試行が厄介であり「初めてだから気が進まない…」という冒頭の思考になるのである。だからこそ「〇〇童貞だからしょうがないよね」という思考で挑戦していこうと言いたい。
何度もサイクルを回し、「真の対処方法」を学ぶこと。「それなりの対処方法」なら何度か失敗を繰り返せば得られるだろう。しかしイレギュラーなケースの場合、対処できないことがある。
イレギュラーなんてものはいくらでもある。その日はちょうど下痢でヤバかったとか。イレギュラーなことを言い出したらきりがない。つまり、「万能な対処方法・真の対処方法」は理想の存在にすぎない。しかし、それに漸近することはできる。
このときも、「しょうがないよね思想」が使えるのである。社交的な女性となら会話は弾むようになってきたから、かなり成長してきたな!と勢いづいていたけど、暖簾に腕押しみたいな仏頂面の女性とは仲良くできなかった…と落ち込むことはある。
でも、「仏頂面の子なんてイレギュラーで、遭遇するの初めてだったからしょうがないよね」と切り替えれば、確かに仏頂面の子と話すのは初めてであるし、初めてのことはうまくいくはずがない。そんな子と仲良くするにはどうすればいいのかを考える良いきっかけ(課題)だと認識できると思う。
てなわけで、色んなことに挑戦していこうという自分の思いを書く兼決意表明でした。
…長くなった。まとまらない文章ですみません。
でもこういうの書くの初めてだからしょうがないよね!!!
…ブログ童貞だった俺が、初めてブログ記事を書いて分かった課題がある。長文になりすぎる傾向があるのと、色々な方向に意識が飛びすぎてまとまった文章を書けないというものだ。まあ、これからそれらを直していけばいい。
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